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美術家一覧

石井 強司

1943年東京都大田区生まれ。1958年、都立工芸高等学校入学。高校では美術部と漫画研究会に所属。1962年 俳優座舞台美術部に入る。1964年、文学座研究所入所、1968年座員となる。『文学座アトリエ公演』でデザイナーとしてスタートする。
以降、文学座、つかこうへい事務所、第三舞台、加藤健一事務所、こまつ座、俳優座、劇団東京ヴォードビルショー、地人会、青年劇場などの劇団やカンパニーを中心に、小劇場から大劇場まで多くの舞台空間で美術を担当。
1984年『早春スケッチブック』(地人会)で第12回伊藤熹朔賞、1994年『土』(文化座)『はなれ瞽女おりん』(地人会)『ゆずり葉』(東宝・芸術座)で第1回読売演劇大賞優秀スタッフ賞、『シンガー』(文学座)『水面鏡』(文学座アトリエの会)『私はラッパーポートじゃないよ』(加藤健一事務所)で第4回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞など受賞多数。
都立総合芸術高等学校、桐朋学園芸術短期大学、東京藝術大学などの非常勤講師を務める。

 

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大田 創

大阪府堺市出身。自由学園卒業。テアトル・エコー所属。大阪芸術大学舞台芸術学科美術コース教員。82年、文化庁芸術家在外研修員としてアメリカに留学。第22回紀伊國屋演劇賞、第1回・9回・20回読売演劇大賞優秀スタッフ賞、第44回芸術選奨文部大臣新人賞、第21回伊藤熹朔賞新人賞、第24回伊藤熹朔賞本賞、他を受賞。 主な演劇作品に『馬にかける男たち』『おかしな二人』(テアトル・エコー)『こんにちは母さん』(新国立劇場)『ザ・空気』(二兎社)。ミュージカル『ジキル&ハイド』『三銃士』『ミー &マイガール』(東宝)『王家に捧ぐ歌』『黒豹のごとく』『アーネスト・イン・ラブ』(宝塚歌劇団)など。

 

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緒方 規矩子

東京府日本橋生まれ。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)図案科に学ぶ。在学中から演劇に傾倒し、クラスメートの田中一光や粟辻博等と「アトリエ座」という学生演劇団に参加。美大卒業と同時に新たな劇団「喜劇座」を起こす。鐘紡勤務をへて、舞台衣裳デザイナーとして1952年、関西歌劇団の『椿姫』でデビュー。以後、妹尾河童に招かれ上京。1955年栗山昌良演出の『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』の衣裳デザインで東京デビュー。1957年 外山雄三、岩城宏之、林光、妹尾河童、栗山昌良、佐々木忠次と“スタッフ・クラブ”を結成。
以来、オペラをはじめ、演劇、バレエ、ミュージカル、日本舞踊と、舞台衣裳分野の第一人者として幅広く活躍している。手掛けた作品は、オペラでは昭和音楽大学オペラ情報センターの記録だけで315件、バレエは昭和音楽大学バレエアーカイブだけで224件、そのほか演劇、ミュージカル、などを加えれば膨大な数にのぼる。横浜ボートシアターで仮面と衣裳の製作でも知られる。

 

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荻原 章生

1965年頃主に歌番組や国鉄、名鉄、市交通局慰安会の芝居の装置を務める。ルーキー新一や石井均等のお笑い関係の舞台美術から始まり、菊田一夫作品『東京の風』、成井市朗作品・東方現代劇、1974年森繁劇団『極楽屋葬送曲』(神津善行・作、森繁久彌・演出)等、1976年唄啓劇団、澤田隆治作品、逢坂勉作品『夫婦浮き草物語』などのシリーズを手がける。
主な作品に、1979年『幸せクルクル物語』(庄司歌江・照江・花江)、1980年『子は鎹』『町長のショウタイム』(ミヤコ蝶々)、1983年『養子の嫁』(東京サンシャイン劇場)、『裸の大将放浪記PART2』(松本明演出)、1988年天童よしみ『通天閣高い』(大阪新歌舞伎座)など。

 

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金井 俊一郎

1931年東京生まれ、2008年逝去。1954年早稲田大学理工学部建築科を卒業、金井大道具に入社。1960年以来、歌舞伎をはじめ商業演劇などの舞台美術を手掛ける。
1956年毎日演劇賞舞台美術特別賞、1962年菊田一夫賞、1983年松尾芸能賞舞台技術特別賞、1993年長谷川伸賞、1993年伊藤熹朔賞、1995年紫綬褒章、2002年旭日小授章など受賞多数。
金井大道具株式会社代表取締役社長、会長、歌舞伎座舞台社長、日本総合舞台美術代表取締役、株式会社パシフィックアートセンター代表取締役会長、日本演劇協会専務理事、日本舞台テレビ美術家協会監事、劇場演出空間技術協会理事、国際演劇協会理事、国立劇場歌舞伎・文楽美術専門委員、シアターコミュニケーションシステムズ副社長などを歴任。

 

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金森 馨

1933年東京生まれ、1980年逝去。舞台美術家。
高校時代は演劇部に在籍。1951年文学座舞台美術研究室 研究生となる。1952年文化学院美術科に入り、中退。文学座『昔話桃太郎』装置を経て、『恭々しき娼婦』の装置デザインで本格的にデビューする。
1954年劇団四季旗揚げ公演『アルデール又は聖女』に応援の裏方として参加。公演終了後に劇団四季入団。以後、衣裳・美術デザインを多数務める。
1958年新しい舞台美術の可能性を探る《舞台実験室》を結成。寺山修司、河原温、高田一郎、吉井澄雄ら諸氏と展示会開催。この年「舞台美術の方法」 「舞台美術の視野」「動く空間」など、前衛的論陣を張る。
1963年日生劇場(株式会社日本生命会館)に正式入社。この年、1968年四季海外留学生としてアメリカ、ヨーロッパへ。1970年日生劇場の自主制作中止とともに、株式会社・金森コーポレーションを設立。さらに朝倉摂、高田一郎両氏と提携、舞台美術の研究・実践グループ AKT結成。OISTAT(舞台美術・劇場技術国際組織)正式発足。日本センター事務局長に就く。1980年他界。
1963年花柳徳兵衛舞踊団『三つの世界』で舞踊ペンクラブ賞美術部門 、1970年『薔薇と海賊』の美術で芸術祭優秀賞、1976年島由紀夫上演委員会の『卒塔婆小町』で伊藤熹朔賞本賞を受賞、1983年PQ(プラハ・カドリエンナーレ)特別賞を受賞。
劇団四季演出部員 劇団四季正劇国員会議長、株式会社金森コーポレーション代表取締役、日本舞台テレビ美術家協会理事、舞台美術・劇場技術国際組織(OISTAT)日本センター事務局長、日本劇場技術協会評議員 財団法人舞台芸術センター評議員を歴任。

 

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妹尾 河童

1930年神戸市生まれ。17歳で看板屋のフェニックス工房で働き始める。19歳で大阪朝日会館企画宣伝部のグラフィックデザイナーとなり、オペラや芝居などさまざまなポスター、パンフレットの表紙を手がける。1952年、藤原歌劇団の主宰者・藤原義江に誘われ上京。オペラ『トスカ』で舞台美術家としてデビュー、1971年文化庁から派遣されヨーロッパ各国を巡る。50歳で勤務していたフジテレビを退社。初の小説「少年H」が上下巻あわせて350万部を超える大ベストセラーを記録、毎日出版文化賞を受賞し、2013年には映画化された。主な作品にオペラ『ヘンゼルとグレーテル』『リゴレット』『ラ・ボエーム』『ドン・ジョバンニ』『アイーダ』『椿姫』、ミュージカル『ピーターパン』『阿国』『スクルージ』『火の鳥』、演劇『NINAGAWA・マクベス』『赤ひげ』『罠』『雪国』『乾いて候』『日本人のへそ』『夜明けの前』『森は生きている』、バレエ『ドンキホーテ』『くるみ割り人形』『ラ・バヤデール』。
伊庭歌劇賞、伊藤熹朔賞、紀伊国屋演劇賞、芸術祭賞、ローレンス・オリビエ賞ノミネート、サントリー音楽賞、読売演劇大賞 最優秀スタッフ賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞多数。

 

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竹内 志朗

1933年大阪生まれ。1950年頃から関西を中心に舞台装置家(舞台美術デザイナー)として、数多くの商業演劇に参加。また、舞台装置以外にもテレビ・映画のタイトル文字、グラフィックデザイン、CM制作など多分野で才能を発揮する。俳優・故藤田まこと氏の人気テレビドラマ「必殺シリーズ」(朝日放送)の全ての回で、手書きサブタイトルおよびエンドロールを担当し、舞台「必殺シリーズ」の装置も任された。著書に、自らが手がけた舞台装置を解説した「舞台道具帳」(たる出版)、自身の体験をまとめた「テレビと芝居の手書き文字」(イグザミナ)がある。
1971年株式会社シュプール設立。日本舞台美術家協会 副理事長・西日本支部長 (2015年まで) 創立以来 50年理事などを務めた。
受賞歴は1991年大阪文化芸術功労知事表彰、1993年日本放送作家協会関西支部より関西ディレクター大賞特別賞、 2002年伊藤熹朔賞、2016年なにわ大賞大阪市民表彰。

 

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土屋 茂昭

舞台美術家。1951年広島県生まれ。
日本舞台美術家協会副理事長 大阪芸術大学客員教授
1972年劇団四季演劇研究所に入所、その後、金森馨、ジョン・ベリーに師事し、1983年ミュージカル『CATS』の美術総合デザインを担う。1983年劇団四季美術部長。以後、劇団四季製作のほぼ全作品の舞台美術や長野冬季オリンピック開閉会式美術スーパーバイザーなどを手掛ける。2000年独立してフリー 。ストレートプレイ・ミュージカル・オペラ等の舞台美術家として活動。主な作品に『鹿鳴館』(四季自由劇場)『EVITA』『李香蘭』『ウエストサイド物語』(四季劇場他)地球ゴージャス『ゼロトピア』(ACTシアター)『ぼくに炎の戦車を』(ACTシアター/韓国国立劇場)『ハロー ドーリー』『ショウボ—ト』(オーバードホール・東京芸術劇場)『チャンバラ』(ザ スズナリ)『誓いのコイン』(坊っちゃん劇場/ロシア国立マールイ劇場)オペラ『エレクトラ』(ザルツブルグ祝祭劇場)『トスカ』(藤原歌劇団 東京文化会館)など。また、ミラノスカラ展『マダム バタフライ』舞台美術スーパーバイザー、フィレンツェ市立劇場『マダム バタフライ』舞台美術監督、ザルツブルグ祝祭大劇場『エレクトラ』舞台美術デザイン、を務めるなど、国内外で活動。

 

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橋本 潔

1930年京都生まれ。舞台美術家、銅版画家。 日本舞台美術協会理事、井上バレエ団理事。元日本工学院専門学校演劇科講師(1989~2002)。
1952年NHK テレビ実験放送とともに入局、テレビ美術、照明の開発に参加。1956年には日本最初の長編アニメ映画「白蛇伝」美術監督。 谷桃子バレエ団『白鳥の湖』『ジゼル』ほか。各局テレビのドラマ、ドラマスペシャルの美術デザインなど。

 

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堀尾 幸男

1946年生まれ 広島県生まれ。広島県立皆実高等学校卒業後、武蔵野美術大学デザイン学科芸能デザイン専攻に入学。1969年、旧西ドイツ国立西ベルリン芸術大学 舞台美術学科へ留学、ヴィリー・シュミット教授に師事。現在までにオペラ、ミュージカル、現代演劇、歌舞伎、コンサートまで手掛ける。
作品は多岐に渡り、野田秀樹、三谷幸喜、いのうえひでのり、中島みゆきら第一線で活躍するアーティストの舞台美術を多数手掛けている。
1991年第18回伊藤熹朔賞、2000年第34回紀伊國屋演劇賞 個人賞、2004年岐阜県立美術館主催第3回円空賞、2008年第7回朝日舞台芸術賞、2010年第35回菊田一夫演劇賞 特別賞、第24回読売演劇大賞 大賞・最優秀スタッフ賞など、受賞多数。
私立吉祥寺女子中高等学校非常勤講師、武蔵野美術大学短期大学非常勤講師、東京藝術大学非常勤講師などを歴任。武蔵野美術大学主任教授などを歴任。

 

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松井 るみ

多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。劇団四季を経てロンドンへ留学。帰国後、舞台美術デザイナーとして活動を開始。2004年『Pacific Overtures』(宮本亞門演出)でブロードウェイデビュー、同作品で第59回トニー賞舞台美術賞にノミネート。2007年にはOISTATより”世界で最も名誉ある舞台美術デザイナー12人”に選出。タン・ドゥン作曲『TEA: A Mirror of Soul』(宮本亞門演出)ではオペラ界においてもアメリカ進出をはたす。2010年6月には『The Fantasticks』(宮本亞門演出)でロンドンのウェストエンドデビューを飾った。その後も、上海での新作ミュージカル、宝塚歌劇団等、活動の幅を広げている。これまでに美術を手がけた舞台は500作品以上にのぼり、2003年・2012年読売演劇大賞最優秀スタッフ賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、伊藤熹朔賞、菊田一夫演劇賞ほか受賞多数。2019年秋の紫綬褒章受章。2015年より東京芸術大学の非常勤講師を勤める。

 

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吉田 謙吉

1897年東京都生まれ。1909年府立一中に入学するが父の事業の倒産により中退、府立工芸学校金属科鋳金科に転校。1911年府立工芸学校金属科鋳金科に入学。1915年同科を卒業し、海軍造兵廠鋳金工場に勤務する傍ら、葵橋洋画研究所に学び、また、土岐善磨に師事し生活歌を学ぶ。東京美術学校図案科第一部を卒業。第9回二科展にLA LOKOMOTIVO PLOVIZEJO SUBIGINTA SUB URBO(街に沈んだ機関車庫)で初入選。1923年「アクション」「三科」などのグループをつくり新しい絵画運動を起こす。1924年築地小劇場の創立に美術部宣伝部員として参加し、第1回公演『海戦』の舞台美術を担当。以後、土方与志との共同制作による丸太組み舞台のスタイルをつくり上げる。1929年築地小劇場分裂後は、新築地劇団の同人となる。1934年以後、満州、広州、南鮮、内蒙古に取材旅行。1945年内蒙古で終戦。翌年帰国後、日本大学、多摩美術大学、玉川大学の演劇科で教鞭をとる。1960年現代マイムを日本へ移入すべく日本マイム協会をつくり、同会会長となる。作画、著作のほか、旅館・喫茶店等の設計・内装も手がけ、著書に「たのしい舞台装置」「築地小劇場の時代-その苦闘と抵抗と」となどがある。

 

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